3種の母乳で子を育てる、タマーワラビーのマネジメント能力

有袋類

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茂みから様子を窺うタマーワラビー
photo by:Paul Asman and Jill Lenoble
名称(学名)
タマーワラビー(Notamacropus eugenii)
分布
オーストラリア(南部、西部、カンガルー島など)
生息域
乾燥した森林地帯、低木林、沿岸部
体長
52~68cm(頭~胴)、33~45cm(尾)
体高
45cm
体重
4~9kg

小型カンガルー「ワラビー」は人気を博す

「オーストリアにカンガルーはいない」。このキャッチフレーズは、オーストラリアとオーストリアが混同されやすいという事実を、端的かつユーモラスに表現している。

 だがいつの世にも型破りはいるものだ。オーストリアにおいても2014年に、動物園から脱走して野生の世界へ飛び出したカンガルーがいた。しかも1匹は3か月ほど自力で生活するばかりか、越冬まで果たしたのだという。オーストリアの環境に上手く適応し、冒頭のキャッチフレーズを見事に覆したわけだ。

 ユーモアをユーモアで返した脱走劇は、お茶の間を大いに沸かせた。主犯となったのはアカクビワラビーと呼ばれるカンガルーの一種であり、”ワラビー”という存在を世に広めるキッカケにもなった。

 カンガルー科の動物は大きく3つに分類され、大きい順にカンガルー、ワラルー、ワラビーと呼び方が変わる。正式な分類法ではないものの、体重25キログラム以下の小型種がワラビーと呼ばれている。

 温厚な性格や小さな体格が愛らしく見えるのか、ワラビーはメディア人気も高い。たとえばクアックワラビーは、正面から見ると笑みを浮かべているように見えることから、「世界一幸せな動物」と称されている。SNS上でも人気を博し、自撮りの相方としてクアックワラビーを訪ねる観光客が動物園に押し寄せるそうだ。

跳ねるように走るアカクビカンガルー
跳ねるように走るアカクビワラビーの画像。体は小さいが、その行動は大型のカンガルーとほとんど変わらない。(photo by:sandid)

研究者を魅了して止まない特異体質の持ち主

 少し畑は違うが、タマーワラビーも知名度が高い。和名ではダマワラビー、ダマヤブワラビーとも呼ばれ、タマ(あるいはダマ)と呼ばれる低木の茂みに潜むことから名付けられた。

 このワラビーはひときわ珍しい性質を数多く備えている。たとえば海水を飲んで喉を潤すことができる。尿を濃縮する能力に長けているため、海水のような高塩分にも対応可能なのだ。

 あるいは毒を食べることもある。西オーストラリア本土に限られるが、毒餌に使用されるフルオロ酢酸ナトリウムに耐性を示すのだという。おそらく西オーストラリアに生える毒草、フリンジリリーを食べて耐性を獲得したのだろう。

 これらを始めとする珍しい性質を評価され、タマーワラビーは研究のお供として広く活躍している。飼育しやすく繁殖力もあるため、長期的な研究にも打ってつけだ。彼らは研究分野においては唯一無二の存在であり、数多くの論文を輩出する優等生なのだ。

 たとえば人間と同じく二足歩行をするため、脊髄損傷による下半身麻痺などの研究に貢献する。これは4足歩行のマウスには真似できない役割だ。

 医療方向で言えば、免疫系の研究にもタマーワラビーが注目されている。メスの母乳には30種以上の免疫物質が含まれており、特にAGG01は殺菌力がペニシリンの100倍もある優れた抗生物質だ。

 タマーワラビーの新生児は未熟な状態で生まれてくるため、免疫系も機能しない。つまり雑菌に対してあまりにも無力だ。そこでメスは母乳に抗生物質を混ぜ込んで、食事と一緒に与えてやる。予防接種のようなものだろう。

 夢のある研究もいくつかある。面白いところでは温暖化対策が期待されている。草食動物は腸内細菌に植物を分解させるのだが、その副産物としてメタンも生成してしまう。メタンは温室効果ガスとしても知られ、温暖化の一因にもなっている。

 ウシやヤギなどの反芻家畜によるメタン排出は、世界のメタン排出量の20~25%を占めている。これは人為的なメタン発生において最大規模であり、温暖化を危惧するには十分な量といえる。

 タマーワラビーはこの家畜問題に回答をもたらしてくれるかもしれない。前腸から新種の腸内細菌が発見され、他の細菌よりもメタンガスの排出量が少ないと判明したからだ。その細菌のメタン排出量は、反芻家畜の5分の1とも言われている。

 研究が進めば、細菌の炭素排出を抑えるヒントが見つかるかもしれない。あるいはより直接的に、低メタン細菌を家畜へ移植するといったメタン排出を抑える新技術が生まれるかもしれない。

 上記に挙げてきた研究はほんの一部にすぎない。繁殖学、代謝学、遺伝学…タマーワラビーは多くの分野で夢を見せてくれる。研究者の人気を一身に受け、今も新しい見識を生み出しているのだ。

飼育下でのんびり暮らすタマーワラビーの母子
人に慣れやすく繁殖力も高いため、タマーワラビーは飼育や観察に適している。人間に近寄ってきて袋の子供を見せてくれる母親もいる。(photo by:PxHere)

育児のコツは徹底したミルク管理

 哺乳類のメスが我が子に抱く愛情は、栄養豊富な母乳という形で現れる。特にタマーワラビーの母親は、一般的な動物よりもミルクの管理にうるさい。子供が未熟な状態で生まれてくるため、徹底した栄養管理を必要とするのだ。

 有胎盤類は子供を胎盤内である程度育ててから出産するため、生まれた直後に自らの肺で呼吸することができ、脳など神経系も揃っている。

 ところがタマーワラビーを始めとする有袋類は、かろうじて生きられる状態で子供を出産する。肺も脳も機能せず、皮膚呼吸で細々と命をつないでいる。

 新生児に与えられるのは嗅覚と前足の力だけ。ニオイを頼りにして前脚だけで産道をよじ登り、母親の袋の中へたどり着かなければならない。もし袋の中の乳首へ齧りつけなければ、そのまま餓死してしまう。

 生後直後に過酷なクライミングを課せられるわけだが、その苦労に見合うだけの報酬も用意されている。半永久的な居住と、綿密に調整されたミルクだ。

 たとえばタマーワラビーの母親は、母乳にオリゴ糖を混ぜる。新生児はまだ代謝が未発達なので乳糖を消化できない。有胎盤類のように乳糖を混ぜた母乳与えてしまえば、消化不良を起こしてしまうだろう。消化に良いオリゴ糖を用意することで、母親は我が子の胃腸を気遣っているわけだ。それは命がけの旅路をねぎらう、甘いお菓子のようなものかもしれない。

 母親は栄養だけでなく成長物質も与えようとする。子供の成長に応じて3種類のミルクを用意し、その成長具合をコントロールするのだ。

 最初の100日間は炭水化物が豊富な母乳を与える。この母乳には肺の成長を助ける成分も含まれており、100日間飲み続けると、自力で肺呼吸ができるほどに肺が発達する。

 脳が発達するのもこの時期だ。乳首から口を離して袋から顔を出したがるなど、外の世界にも興味を持つようになる。皮膚呼吸を卒業するだけでなく、認識力も備わることで”動物らしさ”が備わるわけだ。

 100~250日にかけては、含硫アミノ酸やシステインが豊富な母乳を与えられる。これら成長物質はケラチンの生成に当てられ、子供は毛や爪を発達させていく。なお胃腸も機能するようになり、袋から出て草を食べ始める。

 250日を過ぎると母親は乳腺と乳首を肥大化させ、より多くの母乳を分泌するようになる。成分としてはタンパク質と脂肪の割合が大きくなり、純粋にエネルギー総量が増す。栄養豊富なミルクをたくさん与えられ、子は急速に成長していく。

 奇妙なことに、タマーワラビーは育児中に次の子を出産することもある。むしろ最初の出産を迎えた数日後には、すでに妊娠していることが珍しくない。ただし今育てている子がある程度育つまで、次の胎児は成長を止められる。胚休眠と呼ばれる、有袋類に特有の現象だ。

 胚休眠はミルクと同じように、母親から厳密に管理される。乳を吸う頻度が減り始めると胎児の成長も再開され、やがて袋の中で兄弟が出会う。

 そして驚くべきことに、母親は2種類のミルクを同時に分泌するようになる。兄は栄養豊富なミルクですくすく育ち、弟は体の基盤を作るための繊細なミルクが与えられる。それぞれの子に適したミルクを、別々の乳首から分泌するわけだ。

 こうしてタマーワラビーの母親は徹底したミルク管理により、育児を効率的に進めている。有胎盤類が体内で無意識に行う育児を、袋の中で意識的に調整して行っているわけだ。その苦労を思うと、母親の愛情を感じずにはいられない。

母親の袋から顔を出すタマーワラビーの子供
稀に双子も生まれてくるが、基本的にタマーワラビーの母親は1度に1匹しか出産しない。(photo by:olistr)

女系社会?メスに管理されるオス

 オスとメスで大きさが異なる動物は珍しくないが、タマーワラビーでは特に顕著で、オスの体重はメスの1.5倍にもなる。これほど激しい性別差が見られるのは、オス同士で激しく争うことが関係している。

 オスの理念はただひとつ。「強くなってライバルに勝つこと」だ。日頃からスパーリングに明け暮れて、オス同士で序列を競い合っている。繁殖期までに上位の序列まで上り詰めることができれば、メスとの交渉も有利に進められるからだ。

 オスの必勝法は非常にシンプルだ。勝ちたければ体を大きくすれば良い。序列は体重の大きさと比例するため、エサをたくさん食べて成長することが勝利への近道となる。

 好物のイネ科植物はもちろん、低木に生える葉も貴重な栄養源だ。ただしタマーワラビーには不器用なところもあり、枝から葉をむしり取るのがあまり得意ではない。

 人間は上下の前歯で食べ物を挟み込み、そのまま噛み千切ることができる。だがタマーワラビーは下顎の歯が前方へまっすぐ伸びているため、食べ物を上下から挟み込むことができない。つまり上の歯だけで中途半端に押さえつけて、葉をただ引っ張るしかない。無理に引き千切られた葉は大部分が地面に落ち、食事効率も非常に悪いものとなる。

テイラーワラビーの頭蓋骨
上画像はテイラーワラビーの頭蓋骨。奥歯で葉をすり潰すことに特化しているため、何かを噛み千切るのは苦手だ。(photo by: Mike Taylor)

 それでもライバルとの競り合いに勝つためには、多少の非効率は許容しなければならない。オスは悪戦苦闘しつつも、多くの時間を食事へ費やしていく。

 一方でメスは体を大きくする必要がない。繁殖期を迎えてもメス同士で争ったりはしないからだ。オスの力を見極める必要はあるが、それも見ているだけで果たされる。オス同士が鉢合うように仕向ければ、勝手にケンカを始めて実力を証明してくれる。メスは闘わずしてオスの実力を測れるわけだ。

 メスがオスを管理しているように見えることから、メスにまつわる黒い伝説も囁かれている。有袋類である強みを活かして、「子供がオスだった場合は育児放棄をする」という仮説があるのだ。

 オスはメスよりも大きく育つため、育児コストも高くなる。つまりメスとしては男児よりも女児を育てるほうが楽をできる。ところがタマーワラビーはオスが生まれやすく、育児コストの観点からするとメスの意に反してしまう。そこで母親は将来的な育児コストを抑えるべく、子供がオスの場合は捨ててしまい、次の子が生まれるまで待つのだという。

 幸か不幸か、有袋類はほとんど成長せずに生まれてくるため、出産直後であれば育児コストも大してかからない。エネルギー損失が少ないので、有胎盤類よりも気軽に育児放棄することができる。

 この仮説を裏付けるかのように、「袋から出てくる子供の性比は1:1に収まる」という報告もある。オスは多く生まれるというのに、最終的な男女比は半々に落ち着いているわけだ。その理由として、母親がオスを口減らししている可能性はある。

 残念ながら実証はないが、この仮説には妙な現実味がある。我が子に過酷なクライミングを強いたり、オス同士が決闘するように仕向けたりと、タマーワラビーのメスは苦難を与えがちだ。そうした事実がブラックジョークを想像させるのかもしれない。

競争社会に身を投じるオスたち

 1~2月に繁殖期を迎えると、オスたちの争いも激化する。実力がモノをいう世界では若者に出番はない。熟練した体の大きなオスが幅を利かせ、周りを牽制しながらメスにアピールを始める。

 若者は最初から諦めムードだ。実際、タマーワラビーのオスが繁殖に参加する時期はかなり遅い。メスは生後9か月で性成熟を迎えるが、オスは生後24か月まで待たなければ性成熟が完了しない。若いオスは黙々と草を食み、将来に向けて体作りに励んでいく。これも性別の差を大きく感じる話だ。

 熟練者したオス同士のケンカは、まさに全身を用いた総力戦となる。両腕で相手の頭や肩を掴み、そのまま後脚で蹴り上げてしまう。尻尾に力を籠めることも忘れはならない。タマーワラビーの尻尾は”第三の足”とも言える筋肉のかたまりだ。ケンカの際には全体重を支え、さらに蹴る力も高めてくれる。

 こうしてタマーワラビーのオスたちは、相手の腹を蹴破らんとばかりに激しく打撃する。その威力は天敵のディンゴも恐れるほどだ。全力の蹴りが腹部に刺さってしまえば、内臓が破裂したり皮膚を裂かれたり、重傷に繋がることもある。

 大抵の場合、オスたちの決闘は前評判の通りに決着する。日頃の序列に従い、強いオスから順番にメスを獲得していく。やがてオスはメスと交わり、他のオスを遠ざけようとボディーガードを務めようとする。

 だがオスに黙って守られてくれるメスはいない。タマーワラビーは乱婚制で、積極的に別の異性と交わろうとする性質がある。メスはパートナーのオスに執着せず、別のオスを追いかけ、あまつさえ鳴き声で呼びかける。そこからオス同士の争いに発展することもあるが、いつ時もメスを監視できるとは限らない。メスたちは目の届かないところで、他のオスと逢瀬を果たしてしまう。

 メスがあまりにも奔放なため、オスはとてもではないがメスを守りきれない。上位のオスは8時間ほどボディーガードを務めると、諦めて次のメスへ言い寄っていく。そうしてメスは自由に行動し、最高7匹ものオスと交わる。

 このメスの奔放さは、下位のオスにとってはむしろチャンスだ。オス同士の闘いに負けたとしても、メスの温情で交尾の機会を得ることができる。

 しかもタマーワラビーの世界では、交尾の順番が有利に働くとは限らない。第一位のオスは真っ先にメスと交わる権利を得られるが、それでもメスに自分の子を産んでもらえる確率は50%ほどしかない。続く第二位のオスでは35%、第三位と第四位の合計は15%になる。決して上位のオスだけが子を独占するわけではないのだ。

 これもまたメスが授ける苦難のひとつなのだろう。オスはこれに対抗すべく、”精子競争”もこなす必要が出てくる。射精量を増やし、精子の濃度を高め、精子の運動性を強める。”強い精子”をメスに届けて、自分の子を産んでもらいやすくするのだ。

 たとえ蹴り合いのケンカに負けたとしても、精子同士のケンカならば勝てるかもしれない。見えない下剋上を狙うのであれば、強い精子を産生するのが現実的だ。

 繁殖期はオスの生殖器が最も重くなり、精子の貯蔵量も増える。また精液を固まりやすくして、他のオスの射精を妨害しようとする。メスの体内で精液を凝固させて、硬い”交尾栓”を作るのだ。

 卵細胞へ通じる道に栓をすれば、他のオスから受け取った精液が流れ込むことを防げる。タマーワラビーのオスは蹴りのケンカでメスを守るだけでなく、精子そのものに細工して二重の防衛壁を張っているわけだ。

 メスがオス同士の闘争を望んでいる以上、オスもその期待に応えなければならない。それは体を張ったケンカのみならず、目に見えないミクロな闘争も引き起こした。決して負けまいとするオスの闘争心は、メスの思惑にも屈することなく進化し続けてきたのだろう。

タマーワラビーは前脚で器用にエサを掴んで食べる
カンガルー科は二本足で立ち上ってもバランスが崩れない。太い尻尾を足のように用いるためだ。空いた前脚でエサを持ったり、ライバルに掴みかかる。(photo by:Circe Denyer)



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